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神倭伊波禮毘古命

1代神武天皇
神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)、畝火の白檮原宮(かしはらのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県畝火山の東南の地)。一百三十七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)で没。御陵(みはか)は畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上にあり(奈良県橿原市)。
2代綏靖天皇
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神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)、葛城の高岡宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県南葛城郡)。四十五歳(よそぢまりいつとせ)で没。御陵は衝田(つきだの)岡にあり(奈良県高市郡)。
3代安寧天皇
師木津日子玉手見命(しきつひこたまでみのみこと)、片鹽の浮穴宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県南葛城郡)。四十九歳(よそぢまりここのとせ)で没。御陵は畝傍山の御陰(みほと)にあり(奈良県橿原市)。
4代懿徳天皇
大倭日子鉏友命(おほやまとひこすきとものみこと)、軽の境岡宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県南葛城郡)。四十五歳(よそぢまりいつとせ)で没。御陵は畝傍山の真名子(まなご)谷の上にあり(奈良県橿原市)。
5代孝昭天皇
御眞津日子訶惠志泥命(みまつひこかゑしねのみこと)、葛城の掖上宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県南葛城郡)。九十三歳(ここのそぢまりみとせ)で没。御陵は掖上(わきがみ)の博多(はかた)山の上にあり(奈良県南葛城郡)。
6代孝安天皇
大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)、葛城の室の秋津島に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県南葛城郡)。一百二十三歳(ももあまりはたちまりみとせ)で没。御陵は玉手(たまで)の岡の上にあり(奈良県南葛城郡)。
7代孝霊天皇
大倭根子日子賦斗邇命(おほやまとねこひこふとこのみこと)、黒田の庵戸宮(廬戸宮)(いほとのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県磯城郡)。一百六歳(ももあまりむとせ)で没。御陵は片岡の馬坂の上にあり(奈良県北葛城郡)。
8代孝元天皇
大倭根子日子國玖琉命(おほやまとねこひこくにくるのもこと)、軽の境原宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県高市郡)。五十七歳(いそぢまりななとせ)で没。御陵は剣池の中の岡の上にあり(奈良県高市郡)。
9代開化天皇
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおほびびのみこと)、春日の伊邪河宮(いざかはのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良市)。六十三歳(むそぢまりみとせ)で没。御陵は伊邪(いざ)河の坂の上にあり(奈良県生駒郡)。
10代崇神天皇
御眞木入日子印惠命(みまきいりひこいにゑのみこと)、師木(しき)の水垣宮(みずがきのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県磯城郡)。一百六十八歳(ももあまりむそぢまりやとせ)で没。戌寅の十二月に崩りましき。御陵は山邊(やまのべ)の道の勾(まがり)の岡の上にあり(奈良県磯城郡)。
11代垂仁天皇
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)、師木の玉垣宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県磯城郡)。一百五十三歳(ももあまりいそぢまりみとせ)で没。御陵は菅原の御立野の中にあり(奈良市)。
12代景行天皇
大帯日子淤斯呂和氣天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)、纏向(まきむく)の日代宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県磯城郡)。一百三十七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)で没。御陵は山邊の道の上にあり(奈良県磯城郡)。
倭建命(やまとたけるのみこと)
能煩野(のぼの、三重県鈴鹿郡)に至りまし、歌ひ竟(を)ふる即ち崩りましき。御陵を作る。ここに八尋白智鳥(やひろしろちどり)に化りて、天に翔りて濱に向きて飛び行でましき。………河内国の志磯(しき)に留まりましき。故、其地に御陵を作りて鎮まり坐さしめき。すなわちその御陵を号けて、白鳥の御陵と謂う。
13代成務天皇
若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらみこと)、志賀の高穴穂宮(たかあなほのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(滋賀県大津市)。九十五歳(ここのそぢまりいつとせ)で没。乙卯の年の三月十五日に崩りましき。御陵は沙紀の多他那美(たたなみ)にあり(奈良県生駒郡)。
14代仲哀天皇
帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、穴門(あなど、下関市長府)、また筑紫の詞志比宮(かしひのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(福岡市香椎)。九十五歳(ここのそぢまりいつとせ)で没。壬戌の年の六月十一日に崩りましき。御陵は河内の恵賀の長江(ながえ)にあり(大阪府南河内郡)。
神功皇后
息長帯日(比)売命(おきながたらしひめのみこと)。皇后は御年一百歳にして崩りましき。狭城の楯列の稜に葬りまつりき(奈良県生駒郡)。
15代応神天皇
品蛇和氣命(ほむだわけのみこと)、軽島の明宮(あきらのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県高市郡)。一百三十歳(ももあまりみそとせ)で没。甲午の年の九月九日に崩りましき。御陵は川内(かふち)の恵賀の裳伏(もふし)の岡にあり(大阪府南河内郡)。

下巻(しもつまき)
仁賢天皇から推古天皇までは欠史十代ともいわれ、欠史八代と同じく系譜などの記述にとどまり具体的な著述が少ない。これは、書かれた当時においては、時代が近く自明のことなので書かれなかったなどと言われている。

下巻に出てくる主な人物
16代仁徳天皇
大雀命(おほさざきのみこと)、難波の高津宮に坐(ま)してまして、天の下治(し)らしめしき(大阪市)。八十三歳(やそぢまりみとせ)で没。丁卯の年の八月十五日に崩りましき。御陵は毛受(もず)の耳原(みみはら)にあり(大阪府堺市)。
17代履中天皇
伊邪本和氣命(いざほわけのみこと)、伊波禮(いはれ)の若櫻宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。六十四歳(むそじまりよとせ)で没。壬申の年の正月三日に崩りましき。御陵は毛受にあり(大阪府堺市)。
18代反正天皇
水歯別命(みづはわけのみこと)、多治比(たじひ)の柴垣宮に坐してまして、天の下治らしめしき(大阪府南河内郡)。六十歳(むそとせ)で没。丁丑の年の七月崩りましき。御陵は毛受野(もずの)にあり。
19代允恭天皇
男淺津間若子宿禰命(をあさづまわくごのすくねのみこと)、遠飛鳥宮(とほつあすかのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(大和の飛鳥)。七十八歳(ななそぢまりやとせ)で没。甲乙の年の正月十五日に崩りましき。御陵は河内の恵賀の長枝(ながえ)にあり(大阪府南河内郡)。
20代安康天皇
穴穂御命(あなほのみこと)、石上(いそのかみ)の穴穂宮(あなほのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県山辺郡)。五十六歳(いそぢまりむとせ)で没。御陵は菅原の伏見の岡にあり(奈良県生駒郡)。
21代雄略天皇
大長谷若健命(おほはつせわかたけのみこと)、長谷(はつせ)の朝倉宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。一百二十四歳(ももあまりはたちまりよとせ)で没。己巳の年の八月九日に崩りましき。御陵は河内の多治比の高鸇(たかわし)にあり(大阪府南河内郡)。
22代清寧天皇
白髪大倭根子命(しらにのおほやまとねこのみこと)、伊波禮(いはれ)の甕栗宮(みかくりのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。没年、御年の記載なし。
23代顕宗天皇
袁・之石巣別命(をけのいはすわけのみこと)、近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと八歳なりき(大阪府南河内郡)。三十八歳(みそぢまりやとせ)で没。御陵は片岡の石坏(いはつき)の岡の上にあり(奈良県北葛城郡)。
24代仁賢天皇
意・命(おけのみこと)、石上の廣高宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。没年、御年の記載なし。
25代武烈天皇
小長谷若雀(おはつせのわかささのみことぎ)、長谷の列木宮(なみきのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと八歳なりき(奈良県磯城郡)。没年記載なし。御陵は片岡の石坏のおかにあり。
26代継体天皇
哀本柕(おほとのみこと)、伊波禮の玉穂宮(たまほのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。四十三歳(よそじまりみとせ)丁未の年の四月九日に崩りましき。丁未の年の四月九日に崩りましき。御陵は三島の藍の御陵なり(大阪府三島郡)。
27代安閑天皇
広国押建金目(ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県高市郡)。乙卯の年の三月十三に崩りましき。御陵は河内の古市(ふるち)の高屋村にあり(大阪府南河内郡)。
28代宣化天皇
建小広国押楯(たけおひろくにおしたてのみことのみこと)、檜垌(ひのくま)の廬入野宮(いほりののみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県高市郡)。没年、御年の記載なし。
29代欽明天皇
天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろにわのみこと)、師木島の大宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。没年、御年の記載なし。
30代敏達天皇
沼名倉太玉敷(ぬなくらふとたましきのみこと)、他田宮(をさだのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと、十四歳なりき(奈良県磯城郡)。甲辰の年の四月六日に崩りましき。御陵は川内の科長(しなが)にあり(大阪府南河内郡)。
31代用明天皇
橘豊日(たちばなのとよひのみこと)、池邊宮に坐してまして、天の下治らしめすこと、三歳なりき(奈良県磯城郡)。丁未の年の四月十五日に崩りましき。御陵は石寸(いはれ)の掖上(いけのうえ)にありしを、後に科長の中の稜に遷しき(奈良県磯城郡)。
32代崇峻天皇
長谷部若雀(はつせべのわかささぎのみこと)、倉橋の柴垣宮(しばかきのみや)に坐してまして、天の下治らしめおと、四歳なりき(奈良県磯城郡)。壬子の年の十一月十三日に崩りましき。御陵は倉椅の岡の上にあり(奈良県磯城郡)。
33代推古天皇
長谷部若雀(はつせべのわかささぎのみこと)、小治田宮(をわりたのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと、三十七歳なりき(奈良県高市郡)。壬子の年の十一月十三日に崩りましき。御陵は大野の岡の上にありしを、後に科長の大き稜に遷しき(奈良県宇陀郡)。

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2009年02月09日 16:40に投稿されたエントリーのページです。

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